自由と選択肢を与えて聴く
コミュニケーションは相互作用。常に聴き手は相手を操作しているのでは?
勘太郎さんから、人間のコミュニケーションは相互作用と言われるから、常に操作が起きているのではないか? という指摘がありました。
「自分はこんな倫理・思想をもっていますと自覚的になってコミニュケーションしたほうが正直ではあるまいか?」
「きちっとした倫理・思想のもとに操作しますと宣言したほうが正直でないか?」
こんな、聴き方の提案がありました。あなたはどう思われますか?
参考までに、以下に、勘太郎さんのコメントの原文をそのまま書いておきます。
確かに操作は
するのも、されるのも嫌いだ
でも・…
人間のコミニュケーションは
相互作用であると言われている
となると
操作しようとせずとも
必ず相互作用が行われる
となると
操作と相互作用の違いは何????
操作=相互作用とすると
人は操作なしで
コミニュケーションは不可能ではないか?
何かしらの影響を相手に必ず与える
必ず操作しているという事ではないか?
となると
そこに倫理、思想が必要になる
倫理・思想からの自由は無いのではないか?
コミニュケーションする時点で
倫理・思想が
自分に問われるのでは無いか?
倫理・思想から自由な関係で
コミニュケーションしています
と言うのは自己欺瞞ではないか?
自分はこんな倫理・思想をもっています
と自覚的になって
コミニュケーションしたほうが
正直ではあるまいか?
きちっとした倫理・思想のもとに
操作します
と宣言したほうが正直でないか?
しょしょう分かり難いかったかな?
投稿者 Masa : 2007年03月08日 08:19
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